平和と調和を成す一年に
年末年始、今年について祈って考えてみた
年末年始、皆さんはどのように過ごされましたか?私は昨年も健康に安全に過ごせたことに感謝し、また今年をどのように過ごすか祈りながら考える期間になりました。(もちろんたくさん美味しい物も食べました笑)
お祈りしていると、時々、もう1人の自分が祈っている感覚があります。普段の会話でそういう言葉遣いや単語選びをしないのに、自分で聞いていても(小声だけど声に出しながら祈っているので)、「えっ文学的だなぁ」と思うようなきれいな表現が口からどんどん出てきます。
疲れていて、なけなしの体力で祈っている時は完全に『いつもの自分』なのですが、「よし祈るぞ」と少しでもグッと力を込めてお祈りに入ると、なんだから自分の『霊』的な存在が発動しているような感じになるのです。ゾーンに入るというか。何かしら物事に深く集中したことがある人は、『いつもと違う自分』に、おや、と気づいたことがあると思います。
今このブログを書いている時もそうです。「そろそろ更新しよ~」と思ったけど、ネタがない。「遅ればせながらあけましておめでとうございます」と言ったらもう記事が終わると思いきや、キーボードのタイピングが止まりません。
そんなこんなでゾーンに入ってお祈りしながら、今年のことをあれこれ考えていた年末年始でした。
平和と調和の意味
さて、本題ですが、私が最近祈る中で、「平和と調和を成せますように」といったことを神様に伝えることがあります。これは『いつもの自分』も『もう1人の自分』も言っていることな気がします。
平和は、自分の心の平安、いつもゆったり構えていられること、近くにいる人と仲良くすること、世界が平和であること、誰かが傷つくような騒動が起きないこと、皆が日常を楽しめること。そんな思いを込めて使っている単語です。
そして調和は、人と人、人と環境との化学反応が素敵に起こることを込めて願っています。甘辛い煮物は、砂糖と醤油と鷹の爪の配合があってこそ「キタ」という味になると思います。何かが少なかったり、足りなかったりすると、「これじゃない」味になりますよね。「キタ」という味を探す過程が料理の上達への道だと思いますが、「キタ」に辿りついた時は本当にうれしいものです(私が料理が好きだから特にそう思うのかも)。
人と人も、その人の個性が存分に発揮された中で、皆で個性のベン図をこさえていって、皆の個性がすべて重なり合わせたところが輝きを放って、新しい作品や文化が生まれたら素敵だと思いませんか。色の三原色じゃないですけど、個性が重なって新しい色が生まれるような現象が今年も各所で起きて、自分だけでは出せなかった色が自分の周りの世界に生まれていったらいいなと願っています。人と人、人と環境、国と国、いろんな単位で良い化学反応が起きますよう。
こういう平和と調和が成される一年になりますように。
皆さんの夢も実現し、神様の愛をより一層感じて、幸せな一年になることを祈っています!
投稿者プロフィール
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東京在住、早稲田卒。
歌うの好き、体動かすの好き、語り合うの好き、料理はふつう…。
摂理に学び摂理に生きる、私のありのままをお伝えします!
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