メガネについた指紋を見てハッとさせられたこと(メガネの拭き方ではなく)
普段、ブルーライトカットのメガネをかけて働いている。
お気に入りのメガネ。ずれなくて好き。
ただ、屋内(特に家)での普段使いにもしてるものだから、なんせ指紋がつく。ホコリがくっつく。いつ付いたのかわからない水滴もちらほらついている。
だから、気づいたら拭いている。毎日拭いている。拭くときれいになる。
最近は特に拭いてばかりいる気がする。
そんな折に悟った(ハッと気づかされた)ことがある。
私が数年前まで使っていたメガネは拭いても取れない汚れやらキズやらがあった。レンズの表面についた「キズ」はしょうがないとして、1ミリにも満たない小さな粉?のようなチリがレンズの中に入っているようだった。当然拭いてもとれない。
拭いても拭いても、そこにだけゴミがあり、意識すればするほどメガネをかけている時もゴミが目に映っている気がした。(見えないけど見える気持ち)
そんなメガネのことを思い出しながらこういうことを悟った。
メガネの表面が曇って、指紋がついていたら、拭き取ればいい。しかし、ガラスの中にチリが入っている場合は、ふき取るだけではだめで、完全に透明でクリアなレンズを得るためには、ガラスを溶かし、無菌状態、ほこりの舞わない環境で再度型に入れて作る必要がある。
このように、御言葉を聞き、自分を改めて作り直す時、古いもの・悪いものを葬るときは、ほこりの舞わない環境が必ず必要だ。聖霊の火で(御言葉を聞いて感動して熱くなった心で)溶かしても、周りに自分の普段の習慣や小さな雑念が舞っていたら、再構築の際に必ずほこりが入ってくる。
だからこそ、自分を新しく作りたいと思う時は、より脳を透明にするために神様の御言葉で周りを埋め尽くしてほこりが入ってこないようにするのだ。そのあとからは、日常生活の細々とした、荒々しい海で泳いでも、どんなところに入っていっても、ガラスの表面にほこりがつく程度だから、ガラスの中にホコリが入ってもう取り出せないという状況とは違った世界だ。
それでも、自分でレンズを触っていなくても、水滴やホコリはつくから、毎日クリアに神様の言葉を受け取るためには、レンズの表面もいつもきれいにしなければならない。内外両面がきれいであってこそ、神様をまっすぐに感じ、その言葉を死角なく見ることができる。脳を受信機器として清く使うために、いつも拭きなさい。
いつでもメガネのレンズをきれいに拭くように、脳に何か雑念が覆いかぶさっていないか、いつもスッキリした精神で爽やかに生きられているかを点検していきたいと思った。目に見えない脳というメガネ(?)、意識して見ようとしないと見えないから、ホコリがついていないか意識して点検していきたい!
投稿者プロフィール
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東京在住、早稲田卒。
歌うの好き、体動かすの好き、語り合うの好き、料理はふつう…。
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